私の桃源郷を作るにはあと1つの物質が足りないと判明しました。 けれどその物質は私の力だけではどうしても手に入れることは叶わない。 それ自身にも考えというものがあるから、です。 彼女は少しだけ、自分の世界に入り込んでいることがある。 たまたまなのかもしれないし、実際は他の場所でもやってるかもしれないけれど、 知っている限りでは、執務室から見える中庭の桃の木の下。 最初に知ったのは春だったから、桃でも愛でているのかと思っていたが、 桃が散った今でも、そこにふらりと来て考え事をしている。 しかも彼女は視線を向け続けていると、それに気付くくらい気配は読めるのにも関わらず そこに居る場合は、全く持って気付かない。 一度だけ、名前を呼んでみたときも気付く素振りがなかった。 「あ、殿・・・・」 不意に視線を窓にやってみれば、また彼女、殿が来ている。 最初の頃は、戦場での勇ましい姿しか知らなかったから、珍しいとしか気にかけていなかったものの、 それからというもの、いろんな所で目にするようになって、 ついには探すほどになってしまった。 所謂、恋をしている、ということだ。 「姜維、思い人を見つめるのもいいですが、仕事を終えてからにしてくれませんか。」 そんな彼女を想う時も増えつつあるけれど、丞相は毎回のように自分の世界に入り込む寸前に声をかける。 まぁ、ここは丞相の執務室でもあるのだから、居るのは当然だし、 仕事が大量にあるにも関わらず、人間不足のため、サボると大変迷惑なのだ。 「・・・・はい」 そのうち休みが重なったら、遠乗りとか食事を共にしたいものだと考えながら、筆を動かす。 まずは仕事を終わらせないと動けないが。 「ああ、そういえば姜維、明日休みを差し上げますので、殿の休みに付き合ってあげてはどうです。」 ふと、思い出したかのように言う諸葛亮に慌てながらも、しっかり聞いた。 気持ちが知られていたのは知っているけれど、何故彼女の予定まで・・・ それに、先ほど遠乗りに行きたいという思考を読まれたのかとも思う。 「あ、明日、ですか?」 「ええ、明日です。明日は私も月英の実験を視察しにいきますし。それとも共に来ます?」 「遠乗りに行かせていただきます!」 月英の実験はする側は楽しいのだが、大抵実験台にされるので行きたくないと思う場所である。 「そうですか。それでは誘っておくのですよ。」 にっこりと、されて言われてしまえば嵌められたのだと気付く。 また、丞相にからかわれたんだ・・・・。 執務が終わり、私室に戻ろうと思ったのだが、思ったよりも早く終わったらしく太陽の位置は高い。 桃の木の下には彼女の姿はないけれど、そこに行ってみたくなった。 そこに行けば何か、共有できないかというなんとも言えない考えで。 桃の木の下は思ったよりも過ごしやすく、気候の所為か睡眠不足の所為か眠気に襲われ、そのまま眠ってしまった。 「・・・・・しまった」 気付けばもう夕方。空も赤くなっているのに気付く。 これでは、殿を誘う機会が無くなってしまうと、立ち上がってみれば、ぱさりと布が落ちる音。 落ちた布を見れば、普段、殿が羽織っているものであった。 彼女のは、珍しい柄だったので見間違えもしない。 彼女が居たのに寝こけていたことも、迷惑をかけてしまったのも情けなかったが、会う機会はできた。 この時刻なら、彼女は執務室で帰る前に整理をしている頃だろうと見当をつけ足を向ける。 「姜維殿、慌ててどうかしましたか?あ・・・それとも至急の書簡ってありましたっけ・・・?」 「あ、いえ、そうではなくてですね・・・・羽織を、わざわざありがとうございました・・・。」 畳んだ羽織を渡すと、は笑って受け取る。 「いいえ、姜維殿も普段は遅くまで、書簡を読み漁っているのでしょう? 今日のような日は、眠りたくもなりますよ。 ああ、先ほどお聞きしましたが、明日は休みみたいですし、ゆっくり休んでくださいね」 それでは、と去ろうとしたか彼女の腕を思わず掴んでしまい、不思議な視線を送られた。 「あの、ですね・・・・明日、殿も休みと聞きまして・・・・・・・よければ遠乗りでも、と・・・」 しどろもどろになりながらも、言えば彼女はにっこりと微笑んで肯定した。 「嬉しいです。姜維殿と出かけれるとは。」 この笑顔でやはり、好きなのだと認識を改める。 そして、彼女が視界に居ることが幸せであると感じ、 彼女の存在が傍にあることが、私にとっての理想郷の条件と思わせる。 シャングリラの定理 back